水と薬と蜃気楼 富山県
北アルプスからの名水と豊かな大地。天然のいけす富山湾には、きときとの魚がたくさん。「きときとの魚」とは活きのいい魚の意味です。そんな、元気一杯の自然にはぐくまれた富山県を、パズルでぐるっと小旅行。 |
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日本で蜃気楼を見たという最も古い記述は、駒谷散人著「北越軍談(1698年)」で、永禄7年(1564年)に「上杉謙信が蜃気楼を見た」と書かれています。また1700年代に記された「魚津古今記」では、加賀藩五代目藩主・前田綱紀が、魚津で蜃気楼を見て、吉兆と喜び、「喜見城(きけんじょう)」と名づけた、とも伝えられています。実際の風景の下に、虚像が反転して見えるのが冬の蜃気楼で、視界さえよければ、11月〜3月の間、毎日のように全国各地の海岸で見ることができます。
また実際の風景の上に、反転したり、伸びたりした虚像が見えるのが、春の蜃気楼で、4月〜5月に10〜15回程度しか現れません。確実に見える場所も、魚津市のほか滋賀県大津市などと限られていて、魚津でも春の蜃気楼は、年に4〜5回しか見られません。そのため蜃気楼をみた幸運な人に、魚津市では「蜃気楼をみた証明書」を発行しています。
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元禄三年(1690年)、江戸城内でのこと、福島県三春藩主が、突然腹痛で苦しみだしました。その時、富山藩二代目藩主前田正甫公が、印籠から「反魂丹」を出し、飲ませたところ、三春藩主はたちどころに回復しました。居合わせた諸藩主は、その薬の効き目の素晴らしさに驚き、正甫公に自分の領内で反魂丹を売ることを頼みました。それが「越中売薬さん」として全国的に知られるようになった、富山の薬売りの始まりです。全国を回る薬売りは、持ち運ぶのにかさ張らない、名所や役者の描かれた「売薬版画」と呼ばれる浮世絵を、おまけとして配りました。領内から出ることのなかった、庶民は、役者絵の題材を語ってきかせる「売薬さんの一口浄瑠璃」で、江戸文化に触れることを楽しみました。明治に入ってから、おまけの主流は、子供向けの紙風船へと移っていきました。 |
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公認ブランドマーク
富山は、名水百選に4ヶ所も指定されている、日本でも有数の名水王国です。しかし最近では「新しい水」として、海洋深層水に注目が集まってきました。富山湾の海洋深層水は、1年を通して水温が2℃前後と安定し、ミネラル等のバランスも良いため、飲料水だけでなく、酒、食品、化粧水、入浴剤など多くの商品が作られています。
この公認ブランドマークは、富山県深層水協議会が、厳正に審査し、優良な商品・サービスと認めたものにつけれらています。
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